「臨床とことば」 河合隼雄/鷲田清一
おはようございます☀️今日は、「臨床とことば」
河合隼雄/鷲田清一 の感想です。お二方の暗黙知と身体感覚優位なお話しを強く感じさせて頂きました。
「聴く」ことが出来ているのか?相手の語る世界から勝手に外へ出てはいないか?
相手の言葉を掴みに行ってはないだろうか?なぜ待てない?
「語る」ことが相手に伝わっているのか?
「待つ」事の大切さ、距離感・自他の存在感非常に複雑な感覚でのやり取りで臨床の場でなくとも勉強になるものです。
「薬に行ってこい」は病院の隠語で研修医や若い医者に使った言葉。
「おじいさんの脚にもたれ掛かり昼寝をしている看護師」
のお話しは人間の生きがいを示す、とてもホッコリする話しです。一方的にしてあげると言う事は相手を受動的にし生きる気力を剥いでしまう。
相手の能動性を待ち辛抱強く寄り添うこと「臨床の知」を言語化していくことこそ社会の中で役立つ学問になる。
声がつくり出す言葉の皮膚感覚と距離感、あなたが居るから私の存在が意味を持つ。全てを受け入れその場に寄り添う事で
無い物に色を見たり、手触りに音を感じたり、音に匂いを感じたり、色に味を感じたりする。これは神経疾患では無くて「嬉しい」「悲しい」「美しい」などの五感から湧き出す第六感と言った感覚でしょう。
この共感覚を持つ事は人生の密度が変わるはずです。焦らずに相手の「言葉」を待ち、その言葉に寄り添い相手を追い越さずその相手の内心に留まる。
「自分」と言われる「人間」は相手が創る「人」であり
自分を創れるのは「相手」なのですね。