飯島企画業務日誌

『覚悟の決め方』僧侶が伝える15の智慧

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おはようございます☀️
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『覚悟の決め方』僧侶が伝える15の智慧
3.11「東日本大震災」後無力感のあまり、生命力が枯渇してしまった人々へ向けた本でしょうか。
仏教から伝わった「言葉」は日頃、私達が何気無く使っている言葉の中に沢山あります。
皆さんもよくお使いになる「縁」は通常、良い意味で使われますね。
でも仏教で言う「縁」とは「良い」ことは勿論ですが「良くない、辛い」ことも、全ての事柄を示しているそうです。
「助かった」のは「縁」で「死んでしまった」のも「縁」だと言うことです。
この本「覚悟の決め方」とは人間は弱い存在である事を理解し受け止めてなさい、と言うこと。人間、生きている以上、自分が気に入ったものがあれば快感(幸せ)が生じ、気に入らないものがあれば不快感(不幸)が生じる。
死への忌避は、快楽の渇望と同じ、死を覚悟することで快楽を反復することへの強烈な欲求や衝動が抑えられる、と。
天災は、個人にとっての死や病と同じように「理由もなく」降りかかってくる災難で、この「理由のなさ」が科学や合理主義では到達出来ない。
偶発的に降りかかる様々な災いや不幸をどう捉えるか、を考えるのが宗教者の役割だった。
なぜ、仏教の「言葉」が多いのか遡ると「神道」の教えを皆が学んだからですね。
世俗の思考と宗教の思考の差異点のみならず、思想と宗教の対峙点をも浮かび上がらされているのです。
無力さを自覚し、解らない事でも、それでも関わり合う。無力は恥ではなく、無力さを知らない事が恥。
人間は弱い存在であることを認め、不安と暗さに逃げ込まない。「答え」だけを求めずにしっかりとした「問い」を立てる事。
人の「死」が「第1の矢」で心に突き刺さり、その死は、その時点で過去となりますが「第2の矢」が突き刺さります。
この第2の矢はあなた自信の感情です。なぜ、「こうしなかったのか、どうにか出来たのでは‥」と言う思いが自分自身を傷つけ、苦しむのです。
無情に直面したとき「儚いからこそ、愛おしい」として、順序を整える、不平を並べては順序を乱して全てが滅んでしまう。
当時、海外メディアは「被災地で、なぜ?奪い合いが起きず、誰もが粛々と行動しているのか?」と話題になりましたね。
日本では公正性がずっと担保されてきた社会だから、順番を守って並んでいれば必ず自分の番が来る事を知っている。
無宗教と言う方も沢山いらっしゃいますが、日本人は知らず知らず身に付いているのです。
自身の身の丈以上の事はせず、自身が困った時には迷わずに助けを求める。
「四苦八苦」も仏教の言葉ですが「四苦」と言うのは「生」「老」「病」「死」生まれて、老いて、病気になり、死ぬ、と言う事。
人間は身籠った瞬間、四つの苦を抱えるのです。現代の言葉の使い方が違いますね。八苦も人間ゆえ(自我)の苦しみです。
引きこもりで他人と接触しない人でも、その着ている服は誰が作ったか?食べている物は?どんな人でも人と関わっていると言う事です。
なので、全てのものに「感謝」しなさいと教える訳なのですね。そして相手を思いお互いが尊重出来れば生まれてきた「苦」の中でも幸せや喜びを引き寄せられるでしょう。
仏教は他の一神教と違い因果律に立脚するもので「絶対なる神の意思」と言った理路を持ちません。
逆に言えば冷たいと言う印象があるのが仏教かも知れません。
「生きている意味」を問う方もいるでしょう、しかし意味などないのです、意味を追って行くと自分自身を傷つける事になる。最終的に死があるので、そこまでどうするか?と言う考えにした方が間違わないし、楽だと言います。
では「理由」はどうでしょか、これも自分では解りません。それは身近にいる人が感じるものかも知れません。あなたの存在感です、貴方が貴方でいる事が全てではないでしょうか。
「謙虚」でいること、と「他者」を思いやる心で、世知辛い今世をお互いに楽しく生き切りたいですね。

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