RADWIMPSの「野田洋次郎さん」
おはようございます☀️
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若者の自殺が増える傾向にある夏休み明けを前に、RADWIMPSの「野田洋次郎さん」が、しんどい思いを抱える『君』へメッセージを送る。 RADWIMPSのRADは「すごい」「強い」「いかした」と言う意味で、WIMPは「弱虫」「意気地なし」と言う意味。 「かっこいい弱虫」「見事な意気地なし」「マジスゲーびびり野郎」と言った意味合いで過去の辛い思い出を忘れていないのでしょう。 アメリカで3校、日本で1校、合計4回小学校が変わった。転校のたびに学校やクラスの常識、ルール、空気は一変し、毎回イチから。自分はどこに行ってもマイノリティー、異物のような感覚がずっとあった。 ロサンゼルスには日本人もたくさんいて、外国人の友達とばかりつるむ僕は、彼ら(日本人)からしたら面白くなかったんだと思う。いじめられるようになった。無視されたり、殴られたり。日本人が嫌いになった。 日本に帰ってからは洋次郎という珍しい名前をからかわれたり、「英語話せよ、アメリカ帰り」と茶化されたり、いびられたり。ランドセルも持たない僕は日本に帰っても、やはり異物だった。アメリカでも日本でも、大体そういう嫌な経験があると僕は下を向いていた。その「いやな時」が過ぎるのをただじっと待った。下を向いて。 そんな状況が続いた半年後くらい、いよいよやってられなくなり「いい加減にしろよ」と反撃に出た。振り絞るように怒った。ちょうど身長も急激に伸びた頃で、そこからパタッと嫌がらせはなくなった。 自分の居場所を確立するために誰かをのけ者にする奴、誰かをからかうことで注目を集めようとする奴、親や教師の前ではいい子ぶるのが天才的にうまい奴。そんな人間を軽蔑した。 きっといじめてきた奴らは、それがいじめだとも思っていなかったと思う。そして、僕がこの歳になっても鮮明に覚えている一つひとつのことを、彼らは1ミリだって覚えてはいないと思う。今頃、当たり前に親になっていたりもするんだろう。 日本に帰ってしばらくすると、家にあったギターを弾き始めた。中学に上がると徐々にのめり込み、バスケの部活を終えて帰ると「もう寝なさい」と言われるまで弾いて歌い続けた。 はじめて歌詞を書いたのは中2。友達はいた。部活の仲間もいた。スタメンで活躍もした。でも、「どこにも居場所なんてない」感覚の僕にとって偶然なのか必然なのか、音楽はちょうどいい居場所となってくれたんだと思う。 中学くらいからは親への反抗、不信、葛藤、色々な感情が生まれた。物心ついた時から、両親には敬語で接するのがウチのルールだった。一般的な家庭より厳しく、他の家みたいな家族がいいなとずっとどこかで思っていた。 幼い時は父が家にいるのが少し怖かった。常に緊張して、会社に行っている時は心が休まった。怒ると手も出す人だった。なんというか、「最後の昭和の父親」みたいな人。殴られたりしなくなったのは、恐らく僕のほうが身長を追い抜き、力でも圧倒的に強くなった頃だろう。 僕は結局、一度も反撃をすることはなかった。それが果たして良かったのか、悪かったのか。殴り返すかわりに、家の2階から飛び降りたり、運転している車から飛び降りたりした。怒鳴られるたび、傷つけられるたび、「なんで僕を生んだの?」と思った。逃げ方もわからず、そういう行動を取ってなんとか保っていたんだろうと思う。 高校1年までは成績が良かったが、バスケ部をやめた高2くらいから徐々に学校に行かなくなった。進学校でクラスは能力別。高3になると誰が大学の指定校推薦をとるとか、誰の成績がヤバいだとか、蹴落とし合いも始まった。仲の良かった同士でギスギスしたり。プライドばかり高い人たちも多く、そういうものを冷めた眼で見ていた。 徐々に授業をサボって、電車に揺られそのまま江ノ島の方まで行ったり、逆に新宿まで出向いたり。 あの時はなんだか全てが絵空事のようだった。現実感がなく、実感もなく、ずっと宙に浮いているようだった。ほとんどの人間が嫌いで、くだらなく見えて、あんな奴らに俺はならないと威勢ばかりよく、受験で必死になっている人たちもどこかで見下し、音楽だけはやり続けた。かといって学校をやめる勇気もなく、未来を決められず、すべてを先延ばし、先延ばしにしていた。 高3の秋頃、バンドを一時中断していよいよ切羽詰まり、勉強をはじめた。高卒で無目的に社会に乗り込む勇気もなく。大学に奇跡的に合格し、いざ入学式の日、駅を出てサークルや多種多様の企業勧誘、何千人と溢れかえる人の群れに気圧され、門の前で引き返した。19歳でデビューが決まり、大学は中退した。 結局、僕は卑怯なのかもしれない。小学校からずっと高校も、大学も、今の音楽業界も、家族も、自らその枠組みに属しておきながらいつでも逃げ出したくて、そこから離れた一番遠いところに行きたくて。何にも属さず、染まらず、実体のない何者かになりたいのかもしれない。ずっと世界の異物として生きてきた僕にとっては、一生つきまとう欲求なのかもしれない。 20歳を超えて親に会った時、「僕はあなたの子供に生まれてきたのがずっと嫌だった」と伝えた。すると父は「俺もいきなり親になって、どうしていいかわからなかった」と言った。本音だったと思う。自分を棚にあげて、絶対者としての「親」を作り上げないと不安だったんだろうと思う。自分が親になる時、同じように僕も苦悩するんだろう。 そんな親だけど、今ではすっかりおじいちゃんになり、丸くなり、会えば気さくに話せる関係だ。とても感謝している。 『死にたいと思っている君へ』 君の苦しみは僕にはわからない。君の苦しみは君のものだ。君の身体にまとわり続ける、その苦しみだ。君を苦しめるその原因は、きっと君がどんな想いで日々を生きているか考えたこともない。君が苦しいことさえ知らないかもしれない。起きて、ご飯を食べて、トイレに行って、家を出て、歩いて、帰って、お風呂に入って、眠るまでの間、ずっと鉛のように君にまとわり続けるその苦しさを想像したこともきっとない。 朝目覚めて、全部あの苦しさは夢だったんじゃないかと本気で願ったりする気持ちなんか想像もできないと思う。 君の苦しさを何ひとつ知らないのに、僕は言う。無責任かもしれないけど言う。僕は君に生きていてほしい。君がおじいちゃんやおばあちゃんになるまで生きていてほしい。 こんな優しくなくて、不平等で、残酷で、嘘つきばっかりで、やってられない世界だけど、それでもやっぱり生きていてほしい。こんな狂った世界なんだから、君が苦しかったり、悲しかったり、違和感を覚えるほうが自然だ。逃げ出したくなるのが当たり前だ。 こんな狂った世界で当たり前の顔をして、疑問も持たず生きられる奴らの方がよっぽどどうかしている。あいつらの方がよっぽどおかしい。君がいなくなって、そんな奴らばっかりの世界になるのなんて、僕は嫌だ。 君を今支配している悲しみ、苦しみ。それは一生は続かない。これだけは約束する。今そいつらに覆われていて、何も変わることはないと思っているかもしれない現状は、実はそんなことはない。 「時間」を経ると物事は変化する。新しい景色が見える。新しい角度が見えてくる。「今」とは違う未来がくる。その時まで待てるなら待ってほしい、全力で逃げてもいい、叫んでもいい、泣いてもいい。君が操縦席に座る「君」という人を守ってあげてほしい。 読んでくれて、ありがとう。