『ゴリラの森言葉の森』小川洋子/山際寿一
おはようございます☀️
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『ゴリラの森言葉の森』小川洋子/山際寿一
原始的な営みをするゴリラを観察する野性動物研究者(山際寿一)と言葉を使う人の世界をフィクションとする小説家(小川洋子)の対談。
類人猿の生態は初めて知ることも多く、興味が尽きない。 ゴリラの父親には見習うべきことも多い。
人が言葉を得ることによって何を失ってしまったのか、そして失い続けているのか、「時間」を奪われてどこへ向かうのか。ゴリラとの分かれ道とは何か?
言葉を使っていかに小説を書くのか、言葉が規定する内面を書いてしまうと小説にならない、という小川洋子さんの言葉が重い。
それぞれ別々(作家と学者)の世界があるようだけど共通する部分も多々ある。
目の前に起きた事を感性で切り抜けるのが日本人の特徴であり、ゴリラの生態との対比を通じ、性と役割分担、子育ての分担と親子関係、人間の暴力性の起源、身体感覚としてのコミュニケーション力、言葉が持つ特性と物語性。
人として言葉を得たことの功罪を認めたうえで、言葉の本来性、原初的な力を如何に信頼し磨き上げてゆくか。
ゴリラやチンパンジーなどは一晩、群れに戻らないと居ないものとされ、朝に戻ったとしても村八分で追い出されてしまう。存在事態が信頼感で重要視する。
人間は言葉で居ない人の噂話で不在を埋める事が出来るが、言葉を裏打ちする沈黙の時間、共にいる時間、曖昧さを許し共存することを通じ言葉の重みを取り返さないと。耳の痛い話しばかりだ。
ゴリラは仲間と対等な関係を築く事ができ、歌をハミングし、笑う。
シルバーバックと呼ばれるオスゴリラの背中は「ハゲ」て毛が薄くなりビロードような肌触りで子供達に人気があり、背中を滑り台にして遊ぶ。
日本猿などは「目」を合わせるなと言われているが、ゴリラはアイコンタクト(覗きこみ)する。
人間は、科学技術によって、五感のうちの視覚と聴覚の感知能力を拡大した。言葉の能力が加わって、本来の能力では感知し得ない世界を自分の物に出来る様になった。
ゴリラやチンパンジーの祖先より人類の祖先の方が弱かったので、森から追い出されてサバンナの危険な場所に移り住み、その弱みを強さに変えたのが共感力で人類が成功した原因のようだ。
それが現代では「いじめ」や「集団間の暴力や会社」を生んでしまう。
仲間に認められたい、自分の命を懸けて集団のために尽くす。
地球上の生態系で人間の影響が及ばない原生の自然は残ってないと言う。陸上に棲む哺乳類の九割以上が人間と家畜で、鳥類や魚類に対して遺伝子を改変して人工的な種も作り始めた。中国では遺伝子編集によって「デザイナー・ベビー」が生まれたと言う。
新しい生物を作ると言う神の技を人間は手にし始めた。
現代の想像力はすでに言葉を離れ、物語は小説家の手も離れ、科学技術と共にとんでもない方向へと向かいつつあるのかもしれない。
野生動物から見れば人間ほど恐ろしく、奇妙で理不尽な生きものなのだろう。