飯島企画業務日誌

大相撲春場所『横綱大関』

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おはようございます😉

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大相撲春場所『横綱大関』
大相撲の平幕 徳勝龍が初場所千秋楽の26日、14勝1敗の好成績で初めての優勝を果たしました。幕内で最も下位の番付、幕尻の力士が優勝するのは20年ぶりで、奈良県出身力士の優勝は大正11年春場所の鶴ヶ浜以来98年ぶりだそうです。
今年の初場所では早々に両横綱が休場となりましたが、千秋楽まで大変盛上りましたね。

「横綱大関」とは1982年の初場所の横綱・北の湖以来、38年ぶりだと言います。当時の琴風(現・尾車親方)が1人大関となった為です。これは、江戸時代以来番付の片方には、必ず大関・関脇・小結の三役が揃うことが必要とされていました。当時は「大関」が最高位だったことに由来します。

興行としての江戸相撲が人気を博すようになると、吉田司家”よしだつかさけ”(相撲に関する全権は、後鳥羽天皇より委ねられたという)は行司の総元締めとしての権力を保持するため”横綱免許”を与えて横綱を作ることを考えました。それまでの将軍家の観戦する上覧相撲や寺社への奉納相撲等特別な式典に際して行っていた土俵入りを、土俵上で行っていた顔見世土俵入りと結び付け、綱を締めさせて1人で土俵入りを披露させることにしました。

もともと当初は、「大関」の地位の中で”横綱”(土俵入りの時に付ける白い縄)を付けられる者のことを「横綱」と呼んでいました。
このことから横綱になることを「綱を張る」と表現します。また、横綱は、横綱免許を持つ大関に対する名誉称号に過ぎなかったため、番付では大関が最高位でした。
当然横綱に値するような成績を残しながら横綱免許を受けなかった強豪大関も少なくありませんでした。当時の力士の多くは大名の御抱えであり、その力関係や派閥争いの影響で、横綱を逃すケースもあったと考えられています。

大相撲においては、横綱は、全ての力士を代表する存在であると同時に、神の依り代であることの証とされています。それ故、横綱土俵入りは、病気・故障等の場合を除き、現役横綱の義務であります。

後に「横綱」という地位ができたため、極端な話、横綱は1人もいなくてもいいが「大関は必要」という考え方からだと言います。

初場所では、東横綱の白鵬、西横綱の鶴竜が序盤戦で休場しました。東より西の方が「番付が下」となるため、春場所は鶴竜が横綱大関ということになります。
横綱大関も普通に綱を締めて土俵入りし、いつもの横綱と何ら変わりません。一方で過去の番付表では、横綱大関の4文字が圧縮されたような形で並び、その名前に冠せられる形となりました。ただ、38年ぶり。今回は「横綱大関」が番付表に表記されるのか…といったところも、春場所では注目されるかもしれません。
記事https://www.j-cast.com/2020/01/28378211.html?p=all
記事画像https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%AA%E7%B6%B1

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