『建国記念”の”日』はいつ2月11日に決まったの?
先週の今日は建国記念の日で、国民の祝日でした。
祝日はかつて「旗日」といったものですが、近年は祝日でも日本国旗が掲揚されている家はあまり見なくなったような気がします。官公庁は別にして、国旗掲揚という「伝統」も廃れつつあるのかもしれません。
今ここで「伝統」とカッコ書きで書いたのにはわけがあります。「伝統」といっても、江戸時代以前には行われていなかったのに、成ったのは幕末の「開国」後のことであり、正式に国旗となったのは1999年のことに過ぎません。「国旗及び国歌に関する法律」の制定に基づまることです。「祝日法」改正によって祝日に加えられ、翌年1967年から施行されました。
もともとは戦前の「紀元節」だったものが、1945年の敗戦以来、占領軍のGHQによって廃止させられていたものを復活させたものです。祝日法改正の関係者にとっては、敗戦から20年たっての悲願達成ということだったのでしょう。
ここで注目したいのは「建国記念”の”日」という名称です。「建国記念日」ではなく「建国記念”の”日」です。「の」の字が挿入されています。「の」の字が入るかどうかで、ニュアンスが異なってくる。ある種の配慮というか、確信をもてないがゆえの、ためらいの匂いが漂っているのです。制定当初から疑問視がつきまとってきた「建国記念日」ですが、2月11日がそうである理由は全国民が納得するようなものではありません。正直いって、あまりピンとこない祝日なのです。
日本以外の諸外国では、独立記念日や革命記念日、あるいは統一記念日など、明らかに確定できる日時が「建国記念日」と定められています。有名なものでは、米国の「独立記念日」(インデペンデンスデー)は英国から独立を勝ち取った1776年7月4日、フランスの「革命記念日」はバスティーユ監獄襲撃によってフランス革命が始まった1789年7月14日を記念日としたものです。このほか、1947年のインドの独立記念日(8月15日)、1917年フィンランドの独立記念日(12月6日)も、それぞれ英国とロシアから独立した日を記念日としたものです。
ところが日本には独立記念日も革命記念日もない。いつ「建国」されたのかわからないほど古い国であることは確かですが、建国された日時まで確定することは不可能です。だから、「建国記念日」とは言い切らずに、「の」の字が入った「建国記念”の”日」となるわけです。
今年2020年は元号でいえば令和2年ですが、「皇紀2680年」でもあります。皇紀といっても普段の生活には関係ありませんが、毎年年末に発行される、高島易断などによる暦の本には皇紀も記載されているので、目にすることもあるかもしれません。
「皇紀」とは「神武天皇即位紀元」とも言います。西暦とはちょうど660年のズレがあるわけですが、その意味については後ほど触れることにして、まずは世界中でデファクトに使用されている西暦について見ておましょう。
西暦はイエス・キリストの誕生を起点としたキリスト教の暦であり、太陽暦の一種です。近代に入ってから西欧世界が世界を支配した結果、現在では全世界に普及しています。ただし、実在の人物であったイエス・キリストの生誕年は、紀元前6年から紀元前4年ごろと推定されており、実際のところ西暦紀元とは数年のズレがあります。
余談になりますが、紀元前のことを略して「B.C.」と表記する。これは英語の Before Christ(=キリスト以前)のことです。これに対し、紀元後の「A.D.」は英語ではなくラテン語の Anno Domini(=主イエス・キリストの年)の略語です。こういうところにも、西暦のもつチグハグさが現れているというべきかもしれません。
世界の三大宗教はキリスト教、イスラーム、仏教とされています。まずはイスラームについて考えてみよう。イスラーム世界ではイスラーム暦が使用されています。預言者ムハンマドがメッカからメディナ聖遷した年を、「ヒジュラ暦」元年としたことから始まる。西暦でいうと622年のことです。したがって今年2020年は、ヒジュラ暦1441年となり、ヒジュラ暦は月の満ち欠けに基づいて1カ月を定める太陰暦で。このため過酷な真夏の8月に、断食月のラマダーンがやってくる年もあるわけです。
仏教では、「仏暦」が使用されています。面白いことに、イエス・キリストの生誕を紀元とする西暦とは違って、仏暦は仏滅紀元である。釈尊ブッダが入滅(=死去)した年をもって紀元としているのです。紀元前543年をもって紀元とするため、今年2020年は、仏歴2563年となります。仏暦が使用されているのは、主に東南アジアの上座仏教圏です。
では、日本の「皇紀」について考えてみましょう。今年2020年は皇紀2680年となるわけですが、先にも触れたように「皇紀」は「神武天皇即位紀元」とも言います。だから、戦前では「紀元節」として祝日としたわけですが、その「紀元節」が、戦後に衣替えして「建国記念”の”日」として生まれ変わったわけです。つまり、初代とされる神武天皇の即位は、2680年前の2月11日に即位したことになります。明治時代に太陽暦で2月11日になったのは、以下のような経緯があるようです。
1874年(明治6年)に文部省天文局が『日本書紀』の記述に従い、正月1日に即位したことになっているのを計算し、暦学者が審査して太陽暦に換算した結果、2月11日に落ち着いたのだと言います。とはいえ、紀元前660年に神武天皇が即位したという根拠は、きわめて恣意的なものでしかありません。『日本書紀』では「辛酉(しんゆう、かのとり)の年」に即位したということになっています。辛酉とは60年周期の干支の組み合わせの58番目にあたりますが、推古天皇が斑鳩(いかるが)宮を築いた601年(推古天皇9年。注:この時点ではまだ元号はありませんでした。初の元号は「大化」で645年のこと)から、60年周期の21倍、すなわち1260年をさかのぼった「辛酉の年」を神武天皇の即位の年と算定したといわれています。神武天皇は皇室の祖先としては重要な存在ですが、あくまでも神話世界の話であって、歴史として検証可能な話ではないのです。要するに、「皇紀」というものは、「近代の発明」の1つだといっても差し支えないでしょう。「近代天皇制」とともに始まったのです。本格的に一般化したのは、1940年(昭和15年)に挙行された「紀元二千六百年式典」から敗戦までのわずか5年間だけでしょう。きわめて短期間の話です。日本の神道は、いわゆる「民族宗教」とされていて、世界の三大宗教のことを「普遍宗教」と言いますが、民族を離れては存在しえない宗教を「民族宗教」と言います。神道が日本人以外には信仰する者がいないのと同様、ユダヤ教もまたユダヤ人だけが信仰する宗教です。興味深いことに日本とユダヤのあいだには、さまざまな共通性がます。
「神が約束の地を与えたもうたという民族は世界中でただ2つ、日本民族とユダヤ民族だけ」と指摘しています。
共通性があるのは「土地」についてだけではありません。「暦」にも共通性があります。神話のなかに紀元を設定しているという点についてです。ユダヤ教では、「ユダヤ暦」が使用されています。ユダヤ暦は太陰太陽暦で、今年2020年ユダヤ暦では5780年となります。太陰暦なので単純計算はできませんが、西暦とのズレは3760年となります。皇紀よりも2000年近く昔になりますが、ユダヤ教において神が世界を創世した日から始まるとされる暦であります。「創世紀元」とか「宇宙創世紀元」とも呼ばれるのはそのためです。とはいえ、実際の地球は46億年前に誕生しているので、宇宙紀元とはいっても、あくまでも創世神話に過ぎません。
「戦後」になって日本は悪くなったと声高に主張する人が少なからずいますが、皇室にかんしても自由な発言ができるようになったことも含め、戦後世代の私は「戦後」はけっして悪い時代ではなかったと考えています。もちろん、「戦前」がすべて悪かったなど考えていません。「良いものは良い、悪いものは悪い」、という是々非々の態度で何事にも臨みたいものです。政治的な立ち位置にかんしても同様です。右であれ左であれ、ある特定の思想信条にこりかたまっていては、自由な思考はできません。あくまでも神話は神話、歴史は歴史、です。
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https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/59256(佐藤 けんいち:著述家・経営コンサルタント、ケン・マネジメント代表)