おはようございます😉
『ケニー・ロジャース』
60年にわたって音楽活動を続け、アメリカのカントリーミュージック界で伝説的な存在だったケニー・ロジャースさんが20日、亡くなりました。81歳でした。
1938年にアメリカ南部テキサス州で生まれたケニー・ロジャースさんは、1950年代後半から本格的に音楽活動を始め、1977年には代表曲「ルシール」で初めてグラミー賞を受賞しました。
その後も次々とヒット曲を出し、1979年には「ザ・ギャンブラー」で、1987年には「メイク・ノー・ミステイク、シーズ・マイン」で合わせて3度にわたってグラミー賞を受賞しました。
また、1980年代には、歌手のライオネル・リッチーさんが書き下ろした曲、「レイディ」を歌って大ヒットを記録し、2013年にはカントリーミュージックの殿堂入りも果たしました。
ロジャースさんは2年前、体調を崩してコンサートツアーを取りやめ、その後、療養生活を送っていましたが、ロジャースさんの家族は20日、「自然死で、自宅で家族に囲まれて安らかに眠った」という声明を出し、ロジャースさんが亡くなったことを伝えました。
新型コロナウイルスの感染を防ぐため、葬儀は非公開で小規模なものになるということです。
彼の数多い楽曲の中から一曲ご紹介します。
以下が和訳した内容ですが、一般的には涙を誘う曲調に成りやすい所、カントリーソングは淡々と唄う男の美学があります。
誰もが彼をこう思ってたんだ ”町一番の臆病者”だって
ヤツはそう言われても 一度たりとも みんなの誤解を解こうとはしなかった
母親はトミーって名付けたのに 人々はヤツを”臆病者”って呼んだのさ
いつも思ってたよ このままじゃ トミーはグレちまうんじゃないかって
ヤツがまだ10歳の頃のこと 父親が獄中で死んだんだ
それから俺が面倒をみてるのさ トミーは私の甥だからね
最後の言葉をまだ思い返せるんだ
父親はトミーにこう言った ”息子よ 私の人生は終わるけど
おまえの人生は始まったばかり…”
“約束だ 息子よ 俺と同じ間違いをするんじゃないぞ
できるだけ揉め事は避けることだ されるがままになったとしても
だからといって 弱虫ってことじゃない おまえにはわかってほしいんだ
息子よ 喧嘩しないってのも立派な男なんだ”
誰にも恋人ができるように トミーにもベッキーという恋人ができた
彼女の腕のなかでは トミーは 証明しなくても十分に男だったよ
ある日 トミーが仕事に出てるとき ガトリンの奴らがやってきた
奴らはベッキーを交代で犯したのさ そう3人ともがね
トミーが帰ってドアを開くと そこではベッキーが泣いていた
引き裂かれたドレス や 粉々になった見た目は
トミーは見るに忍びなかった トミーは暖炉の上の棚に手を伸ばし
父親の写真を手に取った トミーの涙が父親の顔の上にこぼれ落ちたとき
またあの父親の言葉が聞こえてきたよ…
約束だ 息子よ 俺の間違いを繰り返さないでくれ
できるだけ揉め事は避けることだ されるがままになったとしても
だからといって 弱虫ってことじゃない おまえにはわかってほしいんだ
息子よ 喧嘩しないってのも立派な男なんだ”
ガトリンの奴らはトミーを見ると笑った
酒場にトミーが入ってくると ひとりが立ち上がって身構えた
部屋の真ん中でにらみ合うと くるっと背を向けたトミーに奴らが言う
“おい見ろよ 臆病者のお帰りだぜ”
でもトミーが止まってドアをロックした 一本のピンが落ちる音が聞こえるほど
あたりは静まりかえったんだ 這いつくばってた20年の屈辱が
彼のなかで煮えくり返ってた
トミーは思いを隠すことなく すべてを奴らに見舞ってやったのさ
トミーが酒場を出たときには ガトリンの奴らはみな床の上さ
トミーは最後の一人を倒すときこう言った
“これはベッキーの分だ”
そしてトミーはこう言ったんだ…”父さん、約束するよ
父さんがやった間違いは繰り返さない トラブルもできるだけ避けるようにする
でも僕が言いなりにならなかったからといって 僕を意思が弱いヤツと思わないでほしい
父さん わかってほしいんだ 一人前の男だったら
立ち向かわなきゃいけないときがあるんだよ”
誰もが彼をそう思ってた…
“町一番の臆病者”だと…