飯島企画業務日誌

『カツ丼』

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おはようございます😉
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『カツ丼』
早稲田の老舗がひっそりとのれんを下げたーー。
明治初期から100年以上続くこの店の名前は、”三朝庵”。馬場下町交差点のシンボルとして、早稲田の街を見守ってきた。

諸説あるが、三朝庵は「カツ丼発祥の店」としても知られている。早稲田の地でカツ丼が産声をあげたのは1918年(大正7)。学生のアイデアによって卵でとじたことから誕生したという。
さらに、三朝庵は「カレー南蛮」も生み出したと言われている。新しくできたカレー屋に奪われた客を奪い返すため、試行錯誤の末に誕生したのだそう。

早稲田大学創設者の大隈重信も、三朝庵に魅せられた一人であった。実は、創業から大隈とは浅からぬ縁があった。もともと店の土地を所有していたのが大隈で、1906年に初代店主がこの土地を借り受ける形で、三朝庵はスタートしたのだ。
昔の学生は、お金も娯楽もないから、とりあえず近くの飲食店で時間を潰してい、今より店の数も多くて、街も賑わっていた。
ここで、蕎麦屋でカツ丼?と言う疑問が出てくる。
江戸時代前期「天ぷら屋」と呼ばれる屋台において、串にさされたスタイルの天ぷらは“立ち食いするファストフード”のような庶民食だった。
天ぷら屋が当たり前のように並ぶのと同じ時期、その隣には自然な形でそばの屋台が並んでいた。そばの屋台でかけそばを食べていたお客が、隣の天ぷら屋から天ぷらを1つ購入して、そばにのせたところ、そのあまりの美味しさに噂が広がっていったと考えられている。
また、文政10年の川柳にも登場することから、それ以前にはそば屋で天ぷらそばが提供されていたと考えられる。
そして時代はとび、東京銀座の「煉瓦亭」で”カツレツ”が提供され、更に天ぷらのように、たっぷりの油で調理した方が大量に安価に出来る事から蕎麦屋で”豚カツ”を提供するようになった。
最初に述べた通り、予約の宴会で大量の”豚カツ”が急遽キャンセル。そこで学生が”親子丼”見たいに卵でとじたら?と言う事で蕎麦屋の割下とダシで味付けしたのが人々にうけたのだ。
ご飯で無く、蕎麦にのった”カツ煮そば”もあるのはご存知だろうか?

記事https://gendai.ismedia.jp橋本
記事http://www.takayamaseihun.co.jp/contents04.html

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