江戸時代が終わり近代国家へ、建築を通して東京を作った男たちの物語。この本の主人公”辰野金吾”は、唐津藩下士の足軽よりも低い家格出身。明治になり、東京で同藩上士”曽禰達蔵”と共に建築を学ぶ。唐津では、のちに首相となる”高橋是清”に英語を学んだ。 新しい時代に、自分が何をやりたいのか?そんな気持ちは彼らには無かったようだ。自分よりもお国の為にやらねば成らない。さらに高橋の後を追って上京し、進められ勉強して工学寮に入学した。
鎖国で文明技術の遅れを歪めない、明治になり上層階級者は海外に身を移し、むさぶる様に学び我が国に知識を持ち帰った。それでも日本での指導者はまだ欧米人の御雇い建築家を招いていた。
金吾は工部大学校(現、東大)の建築学教師職コンドル氏に学び首席で卒業後ロンドン留学し、3年後帰国し工部大学校教授に就任した。ここからが物語の始まり。金吾の癇癪の持ちっぷりはどうなのか?と感じるが、まだまだ家父長制が残る時代。
イギリスの恩師から学んだ多くの建築は、壁や柱など構造として必要な部分だけでなく、大なり小なり装飾が施されて成り立っている。先進国に習い、見映えで国力をアピールし美術的な装飾が合わさって建築を完成する、との考えに基づくのが美術建築だったのだ。それが当時、ニューヨークではコンクリートの高層ビルが建ち初め日本の建築士の中でも”飾りはいらない”人を多く入れる箱がこれからの時代だ!と考える人もいた。それでも金吾が目指した美術建築は、現代の私たちがオフィスにアートを飾るのと似ていると考えられないでしょうか。
明治維新後の初代内閣は旧薩長土肥の伊藤博文、大隈重信、松方正義などの大物が存在する中、金吾が止まらない。恩師であるコンドル師を罵倒し日本銀行の仕事を得る。ここには、これからの日本は”日本人”が遣らねばならぬ。と言う思いからだった。
友人である”曽禰達蔵”の方は豪快さには欠けるものの、その人柄や誠実さ見習う点が多く、彼との友情の深さが主人公の体面を保っているとも言えそうな気がした。この、達蔵は東京駅施工の話を金吾に持ち掛ける、但しロシアに戦争で勝ったなら、と言う条件付きだったが見事この仕事も成し遂げた。
息子の辰野隆は、後に東京帝大仏文科の教授となり東大での教え子からは、三好達治・渡辺一夫・飯島正・伊吹武彦・小林秀雄・田辺貞之助・今日出海・中村光夫ら、文学研究・文芸評論で活躍した人物を輩出した。
娘婿は、鈴木梅太郎と言う日本初のノーベル賞に輝いてもおかしくない世紀の大発見をし、東京帝国大学農科大学教授で、この時代でなければ登場しえないそうそうたる人物が名を連ねた。有能な協働者だった高橋是清氏の生涯も興味深い。「縛めの解くるが如く。」と形容された金吾が生涯の幕を閉じるラストは、彼が夢見ているものが違った形で継承されるように想えた。