図書倶楽部
『河童』芥川龍之介
自分の中にある不安と常識が混然と同居し、そんな時空を幻想と現実とを行き来しているような印象を受け、理性的に精神を病み眺めるというのは、ただただ苦痛と虚しさの繰り返しなのか。”河童”は、その時代の人間社会に加え自身の病すらも訴えたかったのか。
■以下解説
https://akari-media.com/2020/04/25/member-784/作中において、『僕』の話はあくまで嘘か真実かはっきりしないような描写がされています。元々『僕』は現実の生活に対して不満を抱えており、ある時「こことは違う環境なら、自分はもっと快適に生きられるのかもしれない」と考えて、現実の世界とは何もかもが正反対の世界――河童の国を頭の中で思い描いたのではないでしょうか。
河童の国において『僕』が特別保護住民として扱われ、働かずとも悠々自適に生活できる特権を与えられているのはこうした願望から来るものかもしれません。では、自分が願ったはずの理想の世界になぜ『僕』は嫌気が差して離れてしまったのか。それはおそらく、「都合の良い世界」を上手く作り出せず、空想に浸ることに疲れてしまったからではないでしょうか。
現実に不満を持った『僕』は、「こんな風にすればもっと合理的じゃないか」と現実世界の悪い点を取り除いた空想の世界、「河童の国」を作りました。作中の河童達が口にする人間社会への批判は、おそらくは『僕』自身の考えを空想の存在に言わせていただけだったのでしょう。しかし、現実世界の欠点を取り除いた世界には新たな不満点が現れ始めました。不合理をなくして合理化したはずの世界は『僕』にとって住みよい世界にはならず、結果として不完全に終わってしまったのです。
自分ならもっと良い世界にできる、と思って作った河童の国がいびつな理想郷になってしまい、空想を続けるのが嫌になった『僕』は空想をやめて現実へ向き直ることにしました。中途半端に直してあんな世界になるくらいなら、欠点だらけの現実の世界のほうがまだましだ――と、そんなことを思ったのかもしれません。ただ、空想が嫌になったとはいえ『僕』は現実の世界に戻るのにいくらか抵抗があったようです。『僕』が年老いた河童に人間の国への戻り方を教えてもらう場面からは、彼のためらいが読み取れます。
私達人間は何らかの問題に直面した時、強い意志を持たなければつい楽な道を選んでしまう傾向にあるそうです。自分のいる環境が悪いと思った時、環境を変えるのに多大な労力が必要ならば変えることを諦めてその環境から逃げ出すか、あるいはただ我慢してしまうのです。
逃げ出すことも変えることもせず、恵まれて見える他人を「いいなあ」とうらやむだけの怠け者の人間達。『河童』という作品には、他人をうらやむばかりで何もしない人への痛烈な皮肉も込められているのではないでしょうか。