『暴力の人類史』㊦スティーブン・ピンカー/幾島幸子・塩原通緒‥訳
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『暴力の人類史』㊦スティーブン・ピンカー/幾島幸子・塩原通緒‥訳
下巻では個人の内面にある暴力の原因へと焦点としていく。かつて世界は”男”の物で有った。動物は当然、女性や子供、同性愛者、他部族、他宗教など自らと異なるものを見つけては差別し暴力を行なっていた。差異は認めるものではなく虐げるもので有った訳だ。
7章までは㊤巻同様「暴力」が減少している事実を検証し、8章、9章、10章ではピンカー専門の心理学の知見で、暴力減少を引き起こした原因が人間の心理の変化にあるかを検証している。
男は優位争いが始まると、上手く収まる処か最終的には全員が損をする結果になりやすい。とかく自分の無罪を誇張する一方、敵の悪意を誇張するものなので、その不公平感からシベンジに走る。人間は実際的な暴力に対する嫌悪感を克服出来るだけでなく、暴力嗜好を獲得することさえ出来る。人間は誰もが信じているのだと思い込むと、自分では信じていない信念をも信じていると言ってしまう。だから、そうした信念は閉じた社会の全体に広まって、その社会に集団妄想の魔法をかけてしまうことが出来るのだ。宗教でのイデオロギーと言えば、古代の部族的な信条から善いものが殆ど出ていない。全世界において、超自然的な存在への信仰は、その信仰の元に、血に飢えた神をなだめる為の人身供犠や邪悪な力をふるう魔女の殺害を訳もなく正当化してきた。経典に描かれる神は、大量虐殺、レイプ、奴隷制、不服従者の処刑を喜びその記述が何千年もの間、迫害をもっともらしく正当化するのに使われてきた。偏狭な価値観を聖域へと高めてしまえば、もはや他の人々の利害など無視してもよいのだ。自然、共同体、感情、理性、科学は道徳的にどう評価されるのか?これらの概念は不安定な状態にある。人間というのは種は、生まれながらジレンマを抱えている。それは究極の利益がそれぞれ異なるからであり、傷つきやすい身体のせいで何かと他人のカモにさやすく、他人に利用されるより自分が利用する側にまわりたいと言う誘惑が、全員に手痛い戦争に追いやるのだ。一方だけの平和主義は、最初から負けが決まっている戦略だ。私達が破壊的な争いから逃れることは決して宇宙の目的出はないが、人間の目的ではある。この惑星が重力の普遍の法則に従って回り続けてきた一方で、その種は苦しみの数を下げる方法を見付けてきた。そして人類の益々多くの割合が、平和に生きて、自然な原因で死ねるように成ってきた。私達の人生にどれ程の苦難が有ろうとも、そしてこの世界にどれ程の問題が残っていようとも、暴力の減少は1つの達成であり、私達はこれを有り難く味わうと共に、それを可能にした文明化と啓蒙の力を改めて大切に思うべきだろう。