こんにちは😉
今日は、橋本聖子新会長のニュースでキーワードとなっている”火中の栗…”について。 なんとフランスや中国にもあるようで、その語源はそちらからのようです。
「火中の栗を拾う」は他人のために危険を冒すこと
「火中(かちゅう)の栗を拾う」の意味は、他人の利益のために危険な行動をとることです。火中の栗とは火にくべられた栗のことで、おいしそうに焼けています。
けれども火の中にある栗はいつはじけるか分からず、拾おうとすれば大火傷を負うかも知れません。そんな危険を冒してまで栗を拾おうとするのですが、その栗は自分が食べるのではなく、他人が食べるのです。
つまり「火中の栗を拾う」ことで得られた利益や成果は、自分のものにはなりません。したがって、「火中の栗を拾う」ということわざにおいては、他人の利益のためにという点がポイントになります。
危険を承知でチャレンジするという意味も
危険を承知でチャレンジすることや、困難に向かって乗り出していくことを表したいときに、「火中の栗を拾う」を用いることもあります。
「火中の栗を拾う」の由来はフランスの寓話
「火中の栗を拾う」の由来は、フランスの寓話です。ずる賢いサルがネコをそそのかして囲炉裏の中の栗を拾わせまんまと栗をせしめるのですが、ネコは大火傷を負ったうえに栗にありつけなかったというお話です。
17世紀のフランスの詩人ラ・フォンテーヌが、『イソップ物語』を基にして作った「猿と猫」(Le singe et le chat)という寓話で、ここから他人の利益のために危険を冒すことを「火中の栗を拾う」というようになりました。
寓話においては、愚かな行動をとる動物を登場させて、教訓や風刺を織り込むという手法が多くとられます。そのため、自己犠牲を称えるのではなく、ネコのような愚かな行為をしてはいけないという意味合いが強く込められています。
中国のことわざにもある「火中の栗を拾う」
「火中の栗を拾う」は、中国のことわざにもあります。中国では「火中取栗(かちゅうしゅりつ)」あるいは「火中之栗」と四字熟語の形になります。
中国においても「火中の栗を拾う」はフランスと同様に、だまされて他人の手先として使われて危険を冒すようなことをするのは愚かなことだという戒めの言葉です。
「自己犠牲」の意味合いは日本的
由来となったフランスの寓話や中国のことわざと、日本で使われている「火中の栗を拾う」では、意味合いが異なっています。
他人のために犠牲を払うというところまでは同じですが、フランスや中国ではそれを愚かな行為と切り捨てています。ところが日本では、バカなことをするなという戒め以上に、自己犠牲を伴う尊い行為だという見方をされることもあるのです。
個人を尊重する考え方が主流のフランスや中国と、集団との関係を考慮する日本との違いがうかがえます。
個人を尊重する考え方が主流のフランスや中国と、集団との関係を考慮する日本との違いがうかがえます。というように文化の違いによって同じ言葉でもその言葉の意味が変わるのはとても興味深いなと読んでいて感じました。
引用文献
https://biz.trans-suite.jp/19519#:~:text=17世紀のフランスの,ようになりました%E3%80%82 『「火中の栗を拾う」の意味とは?由来や類語も紹介(例文付き)TRANS.Biz 2021.2.24 12:30』
画像引用
https://www.irasutoya.com/2014/03/blog-post_7058.html『栗のキャラクター かわいいフリー素材いらすとや 2021.2.24 12:35』