飯島企画業務日誌

『平頂山事件とは何だったのか』平頂山事件訴訟弁護団

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おはようございます😉
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『平頂山事件とは何だったのか』平頂山事件訴訟弁護団
平頂山事件とは、1932年9月16日、現在の中国遼寧省北部において、撫順炭鉱を警備する日本軍の撫順守備隊がゲリラ掃討作戦をおこなった際に、抗日ゲリラと通じていたとされる楊柏堡村付近の平頂山集落の住民の多くを殺傷した事件。
同村住人のほぼ全員を同村南西側の崖下に集めて包囲し、周囲から機関銃などで一斉に銃撃し、また、生存者を銃剣で刺殺するなどして住人の大半を殺害した。事件後に旧日本軍守備隊や撫順炭鉱関係者らは、殺害された住人の遺体を崖下に集めて焼却した上、崖を爆破して遺体を埋め、その周囲に鉄条網を張るなどして立ち入ることができないようにした。 同集落が、ゲリラに関与していたかどうかについては現在、否定も肯定もされてはいない。
2009年5月6日、訪中していた民主党の議員団は、日本政府に対し、事件について公式謝罪をするように要求した。一審・二審判決とも虐殺の事実を認定したが、賠償請求については棄却した。2006年5月16日、最高裁が”国家無答責”の原則により、原告側の上告を棄却する決定を出し、結審したが、まだ続いている。
日本は明治維新後、西欧列強に追いつくために、強引な西欧化から近代化を行い、富国強兵・殖産興業を押し進め、西欧列強の植民地政策に追随した帝国主義諸政策を推進していった時代だった。
参考文献ウキペディアhttps://ux.nu/Y8NGv 『平頂山事件 wikipedia 2021.6.21 05:00』
日本は、なぜ無謀な戦争に突き進んだのか?という反省が繰り返される。特に罪深いとされるのが、国民を騙だまし続けた”大本営発表”だ。そもそも”大本営”は天皇に直属する最高の統帥機関で、陸海軍のエリートが集められていた。発表は幾重ものチェックを経ていたし、嘘がばれれば国民の信頼を失い、戦争遂行が難しくなることも分かっていたはず。日本が負け始めると、どの部署もハンコをなかなか押さなくなった。「そのまま発表すれば国民の士気が下がる」というのは建前にすぎず、「敗北を認めると、その責任を負わされかねない」というのが本音だった。発表が遅れれば、報道部の責任が問われる。報道部はハンコが早くもらえるように、戦果をさらに水増しし、味方の損害を減らした発表文を起案するようになった。でたらめな大本営発表には、記者発表で仕上げの尾ひれがつけられた。発表後に軍の担当者が「この発表の意図はこうだ」「ここはこう書いてくれ」とオフレコでレクチャーし、記者たちは軍の意向に寄り添った記事を書いた。軍の意向に逆らわず、むしろ積極的に空気を読んで戦争の片棒を担いだ”メディア”の責任も大きい。
参考文献https://ux.nu/1sXIY 『大本営発表はなぜ「ウソの宣伝」に成り果てたか 読売新聞オンライン 2021.6.21 05:30』
真実の歴史とは、何なのか?有名人はともかく一般人である我々などは自分の子孫がどこまで続くか解らないが、いずれ忘れ去られる存在なのだ。
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