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図書倶楽部
『キリギリスのしあわせ』トーン・テレヘン/著 、長山さき/訳
太陽と月、星以外は何でも売る店をやっているキリギリスの話だ。食品も日用品も服も概念も売るので、お店は大人気で開店前には行列ができる。お店に来られない遠方の動物や、動けないムール貝などにはメールオーダーにすら応じる。連日ものを売りまくっているけれども〈支払い〉のことはやっていないというこのキリギリスは、お客を失望させたくない一心であらゆる要望に応じている。他人の要求をどんどん満たしているだけなのに不思議な幸福感をまとっている。お客たちの要求はかわいいものから熾烈なものまで多岐にわたる。
「ぼくって注文が多いと思う?」とたずねてくるクジラに、「おうそうだな」と答えてやりたくなるのだが、当のキリギリスは、ていうか話が長いねぐらいの反応にとどまる。本書の動物たちの要望には、虚栄心とその裏の弱い自我を感じさせるものがけっこう多い。人間以上に人間らしいというか、人間で描いたらただ見苦しくなる剥き出しの願望を、動物の語りを通してお話に昇華している感がある。ほかの動物の前では隠している気持ちを、ほしいものの売り主であるキリギリスには打ち明けなければならない。キリギリスはものを売ることで、他人の弱さのようなものをたくさん受け取っている。キリギリスがそのことにほくそ笑んでいたり、蔑みを感じていたりするのかというとそうではなく、ただときどきむなしさは感じるようだ。
キリギリス本人からの内面の要請もあるし、確かに良いこともあるけれども、問題客も抱えるこのお店の仕事は果たしてしあわせなのか。読了後思ったのは、そんな問いはいらないということだった。親切であることが避けられないのなら、それを生きるしかないという憂鬱さと諦念を、本書は静かに肯定しているように思える。
(つむら・きくこ 作家) 波 2021年5月号より 単行本刊行時掲載