映画『三島由紀夫vs東大全共闘』 50年目の真実
おはようございます😉
映画『三島由紀夫vs東大全共闘』 50年目の真実
2020年3月20日(金)公開
一枚のモノクロ写真がある。両手を腰に当てた三島由紀夫が余裕の笑みで仁王立ちし、あの特徴的な大きな目が右手に視線を向ける。ぴったりとしたポロシャツ姿で鍛え上げられた肉体が誇示され、手前の教卓にはマイクが置かれている。一方、彼の目前には無数の男女の若者たちがひしめき後方の二階席まで会場は埋まり、立ち見の聴衆も多く見られる、壇上の三島に熱い視線を注ぎながらもどこか楽しげに見える……。
この写真が撮影された1969年5月13日の東京大学駒場キャンパス900番教室は異様な熱気に包まれた。60年代後半の〈政治の季節〉の雌雄を決する安田講堂攻防戦で同年1月に〈敗北〉したばかりだった東大全共闘の有志が、68年の川端康成の受賞まではノーベル文学賞候補と取り沙汰されるなど世界的名声を獲得していた小説家にして、次第に極端な右翼思想への傾斜を強め、前年秋に私的民兵組織〈楯の会〉を結成したことでも注目を集めた三島由紀夫を招き、討論会が開催されたのだ。〈暴力〉と〈ラディカリズム〉こそ、両者の共通の関心であることは明らかで、三島が警察からの警護の申し出を辞退したとのエピソードも当時の雰囲気を如実に伝える。そんな一触即発の雰囲気のもとでの討論の内容については、直後に出版された「討論 三島由紀夫vs東大全共闘――美と共同体と東大闘争」で確認できるが、それから半世紀の節目に当たる今、討論の模様を記録した映像をもとにしたドキュメンタリー映画「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」が公開される。
映画は文字資料で読み取ることのできない何かを僕らに伝えてくれるだろうか?
新たに撮られた識者や当事者のインタビューにしても、討論のやり取りに関連する内容をその都度挿入する構成になっており、当日の討論に寄り添い、ある種のライヴ感をもって再現しようとするスタイルが印象に残る。
討論会の映像を見直してみると、そこでの三島の振る舞いは非常に大人で笑顔もいい。要するに、生き生きとしている。三島が〈なぜ死んだのか?〉ではなく、彼が〈いかに生きたのか?〉という話にできないだろうか、そのためにも実際に行われた討論をきっちり最初から最後まで見つめよう。
三島の衝撃的かつトラウマ的な死がその後の作家解釈を呪縛してきた。しかし、討論の時点で三島が迫りくる自刃をどの程度意識していたかはともかく、彼は討論の〈前置き〉で〈自決〉について語っている、その場における彼はすばらしく「生き生きとして」いて「エネルギッシュ」である。
映画では、討論の内容を収めた前述の書物では伝わらない諸々の現象が捉えられる。たとえば、討論会の企画者で当日は進行役を務め、50年前の出来事を振り返る証言者としても本作に出演する木村修が壇上で三島を思わず〈先生〉と呼び、すぐさま反省しながらも東大教師よりも三島のほうが〈先生〉と呼ぶに値する……と居直る有名かつユーモラスな場面。今回初めて映像で見ると、この〈言い間違い〉がいかにその場の緊張を和らげ、その後の討論を勢いづけたかがわかる。
彼は東大教師の弾劾に走る全共闘の〈反知性主義〉(ラディカリズム)を称賛し、共感を示す。三島は、戦後日本の〈平和ボケ〉を〈文武両道〉の理想の喪失、〈刀〉(肉体)抜きで〈菊〉(精神)だけに偏重した歪な姿として理解した。
三島は〈精神〉の言葉と異質な、あるいはそれと表裏一体であるはずなのに黙殺される〈肉体〉の言葉の発見や復権を求める。
〈文武両道〉は「敵」(との〈出会い〉)を必要とする。三島の〈肉体〉の言葉の習得プロセスにおけるボディ・ビルから剣道への変遷は、自己完結した前者と敵を要する後者の対比から実行に移された。そして、戦後日本への彼の不可思議なまでの苛立ちは、そこでの「敵」の不在に由来するのだ。あの日、彼は東大全共闘なる「敵」と対峙した。
三島にとっての「敵」は、排除すべき単なる憎悪の対象ではなく、ある種の友愛関係を帯びる可能性に開かれた「同じ世界の住人」である。小説の作者と読者でこうした関係性は生じない。両者はそもそも「同じ世界の住人」ではなく、そのあいだに幾重もの「想像力の媒介」が横たわる。警察の心配が杞憂に終わったとしても、三島と全共闘の討論はやはり「決闘」であった。そして本作は、当事者が今も抱える三島の〈死〉の呪縛をあくまでも生き生きとした「見られる」世界のなかに置き直し、半世紀前の「決闘」のありさまをエネルギッシュに蘇らせる。そしてそれは、映画がそもそも抱える〈肉体〉の言葉としての可能性の蘇りをも示唆する。
この翌年11月25日、三島は陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地内東部方面総監部の総監室を森田必勝ら楯の会会員4名と共に訪れ、面談中に突如、益田兼利総監を人質にして籠城すると、バルコニーから檄文を撒き、自衛隊の決起を促す演説をした直後に割腹自決した。45歳没。
記事画像https://mikiki.tokyo.jp/articles/-/24614?page=1
公式HPhttps://gaga.ne.jp/mishimatodai/