飯島企画業務日誌

『 古武術の発見』日本人にとって「身体」とは何か 養老孟司/甲野善記

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おはようございます😉

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図書倶楽部
『 古武術の発見』日本人にとって「身体」とは何か 養老孟司/甲野善記
甲野氏の日本武術史研究に基づく知識と、養老氏の発言はかみ合っているのか?と感じてしまうのは、言葉では伝わらないものを扱っているからだろう。
中盤以降の身体の知見と脳生理学の知見を突き合わせての談義は興味深い。
甲野さんは、武術の極意には”心をどこにも置かない”状態であり、かつ、具体的な技術論として身体的な”術裡”を提言する。
二人とも博学であり話がとても面白いので、飽きることなく読み進められる。
古武術は、稽古により身に付ける、マニュアルで身体を動かす仕様を、大脳から小脳にパラレルな回路を成立し、いわゆる”習熟”によってその動きは無意識になり、オートになると言う訓練する事で超人的な働きを得るという。
身体の動きとか身体感覚と言うのは自分が解っていても相手に伝えずらい。現代は言語中心主義で「言葉にしたってわからないよ」言うことを余り言わない。武道は言葉にならない部分を重視している。
「マニュアル人間」という言葉が示すように、局面を限定して言語化することでかえって頭の硬直化を招く場合があるのも皮肉な話だ。
西洋式と日本式の修行はどちらも基本が大事な事は同じだが、日本はいきなり実地に巻き込むのに対して西洋式は枠組みを決めてそこまでは教える。その先は自分で考えろと…学校での教え方も同様の様だ。
古武術の師範たちが伝えたかったこと、江戸時代までは日本人が普通に会得していた身体感覚が現代人には欠如している、そのために言葉では古武術を伝えきれないことはわかる。
「宗教をタブー視しているところに、現代日本の本質的問題がある」は空海や法然が、どのような人生の問題を抱え、その道に入り、如何に向かったかを学ぶことは、優れた人物の人生論を学ぶことで有益なことだと思う。
達人が、具体化言語化を放棄して奥義が観念化する理由や 便利になっていく事で失われていく肉体性についても強く共感できた。
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