図書倶楽部
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『世の中と足並みがそろわない』ふかわりょう
結論から申しますと…と、始まる。ご自身と周りの人間との思考の違いや想いを22項のエッセイとして綴っている。”自分は人と違うのでは?”と、感じるのは誰にでもある事でしょう。皆、足並みはそろわない方が現実的ではないでしょうか?”変わってる”と思われても、他人を変わった人だと感じる事は毎日のようにあります。お互い様です。
多くの人は日頃から”常識”と言う事を意識しながら生活しています。常識とは多数派となるのでしょうか、常識(多数派)と非常識(少数派)は複雑に絡み合い日々生活をするなかで行きにくさを抱いている人も、どうにか社会と関わりを持ち生きて行かなくてはならない。
個人が円とするならば、どこかの面が誰かと重なり「解る解る~」と共有できる事の多い方が多数派で、重ならない面を持った人は”変わった人”になってしまう。
少数派の人は常識をいつも気にして自分を押さえて生きているように思われ、それが真面目に考え過ぎる人こそ苦しくなって、覚悟を決めて足並みをそろえるのをやめる。犯罪などは別として、こんな生き方も良いと思う。
「個性」と言う言葉は良く聞く言葉ですが本来の”個”とは”存在していること”のようです。詳しくはこちらへ→http://meganeculture.boo.jp/2018/09/07/%E5%80%8B%E6%80%A7%E3%81%A8%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%8B%EF%BC%9F%E3%80%80%E6%AD%B4%E5
そこで個人の性格の違いを”差異”と言う言葉を使いたい。差異は「一見同じに見えても実は差があった」同じ人間でも、違いがあると言う事。
著者は、どこにも馴染めない、何にも染まれないのはご自身でも気付けない、もしくはとうに気付いているからこそ強烈な差異を持ち合わせているからかも知れない。その差異を優性、劣性と捉えるのは自分自身の尺度だけで測るのものではない。”波子のため息”はショートショートの様で、”わざわざ の果実”と”わからないままでいい”は現代社会の、ちょっと前までは違和感しかなかった新しい習慣が、気がつけば普及している。どれもいつの間にか普及してしまったものばかり。もはや否定しても仕方がない。個人がそれに適応するか否かすら問われていないのだろう。否応なしに押し付けられる現実。
それぞれの、差異が自己と相手の関係性の距離を判断する、自己は相手が創るもので、相手も自分が創っている。信頼出来る友人は、数人いれば最高の人生ではないでしょうか。