飯島企画業務日誌

『免罪と人類』管賀江留郎

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おはようございます😉
図書倶楽部
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『免罪と人類』管賀江留郎
免罪事件が多発した時代、司法省と内務省の権益が複雑に入り組んだ司法警察制度に、明治維新初期に定められたかなり無理のある制度を実態に合わせて柔軟運用しようと結果、そこに司法省の付け入る隙が残され、あたかも天皇主権と明記されている明治憲法を、イギリス流の議会中心主義に移そうと目指したが、やはり軍部に付け込まれてしまったのと重なる明治体制の矛盾でもあった。そして、警察が創り上げた虚構の英雄のはずが、いつも間にか警察自身を呑み込んで誰にも押し留めることの出来ないうねりを生じさせた。
出来うる限りのデーターを収集し、緻密な分析を加えることだけが冤罪を防ぎ、また真犯人に迫る唯一の方法である。手抜きからノイズを増やし真実到達を邪魔するようなことだけは厳に慎むべきである。
人間の脳は、目の前の対象をそのまま受け入れるのではなく、予め用意しているパターンに沿って物事を認識しようとする。あるいは、その場で簡単な因果関係をでっち上げ、それに固執する。対象を図式化して捉えようとして、却って真実から遠ざかってしまうのである。元々、人類は生存競争に有利なように、認識能力を発達させてきた。五感から入ってくる全ての情報を受け入れてしまうと脳が処理しきれなく、絞って取り入れ瞬時に判断し、危険を避け、正確性より素早い判断が生死を別つ正しい進化の結果でもある。1人の人間の内側だけでなく、特殊な人物を核とする、学会、裁判、警察、あるいは国家などの人間の巨大なシステムも同様で一連の冤罪事件の病巣はつかみ切れなかった。共感によって因果関係の推論にはどうしても錯誤が混じる事になる。そこで、冤罪が生まれてしまうわけだ。裁判と言うのは弁護士や検事、裁判官だけでなく、傍聴する人々との共同作業で、間接互恵性は人間が共同作業で生き抜いてきた能力だが、公平な観察者も判断の多様性を確保し、裁判が確定するまでは先入観を持たすに真実を歪めないことが重要だ。
何故ここまで予断を持たないよう気を付けなければならないのか?人間は単一の理由に固執する、一度この人物によって事件が起きたと思い込むと、それを否定する情報が頭に入らなくなってしまう。”自己”あるいは”人格”と言うのは、己の心の内部に有るのでは無く、周囲の人間から得られる”評価”によって成り立っている。無実の人間にとって拷問は、その肉体的苦痛よりも、相手が自分の証言を全く信じていない事を、嫌が上にも思い知らされ大きな苦痛を覚えるのだ。
システムの人と言うのは、自分が全てを見通せる程賢く、正しい行動を知ってると思い込み、チェス盤の駒を自在に動かすが如く、華麗な計画を立てる者こそ危険なのだ。自分が不完全である事を自覚し、観察や経験により、時間をかけて真実に近づこうとする”公平な観察者”を多くの人が胸に宿せば悲劇は回避出来るのだ。現代は情報が洪水のように溢れていると言われるが、実は同じ情報がぐるぐる循環しているだけで極めて乏しい言説しかない。そして、”道徳感情”に駆り立てられ、妄動する。このメカニズムは、最近ではコロナウイルスの世界的流行に対し、いかにその拡大を防ぎ止めるかと言う政策選択の場面でも発動した。限定的で必ずしも確実ではない医学的所見にのみ基いて、営業の自由や移動の自由等の私権を過剰に制約し、他方で社会経済に重大な悪影響を及ぼす政策がまかり通ってしまった。コロナは深刻な脅威であり、徹底的に排除しなければならぬ根源的悪であると言う”道徳感情”が政策の是非を総合的、相対的に判断する偏りなき観察者の視点を曇らせた。一方で”道徳感情”の暴走は偏見や差別を助長し”自粛警察”と俗称するつまらぬ者に私的制裁を加えたりする個人や集団を続出させた。
膳と悪とが場合によっては反転し、世界が複雑に入り組むラビリンスが精密な世界模型なのである。
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