『金剛組』
おはようございます🌼
『金剛組』
578年(飛鳥時代)四天王寺建立のため聖徳太子によって百済(韓国)より招かれた3人の宮大工(金剛、早水、永路)のうちの1人である金剛重光により創業。江戸時代に至るまで四天王寺お抱えの宮大工となる。日本の建設会社で、6世紀から現存する世界最古の企業です。
創業から1955年の法人化を挟んで2005年まで金剛一族が経営してきましたが、1400年余りの歴史が途絶えようとする危機がありました。
元来、金剛組は神社仏閣建築の設計・施工、城郭や文化財建造物の復元や修理等を主に手がけている。旧来からの伝統的な建築を得意分野としてきましたが、神社仏閣にもコンクリート建築が増加したことにより大手ゼネコンとの価格競争に巻き込まれた結果、売上の減少や資金繰りの悪化により経営危機に見舞われ、すべての資産を売り払ってもなお数十億円の借金が残る債務超過状態にあった。「身の丈を超えてはいけない」という代々受け継がれてきた教えに”背いた”ことが一因だった。地価と建設需要が急上昇したバブル期、金剛組はマンションやオフィスビルなどの建設に手を広げる。バブル崩壊後も売り上げを維持するため、赤字になる額でも工事を受注。経営は悪化の一途をたどり、民事再生手続きの申請を準備するまでに追い込まれていたのです。
そこに、支援の手を差し伸べたのが金剛組とはまったく接点のなかった「高松建設」だったのです。高松孝育会長に迷いはなかったと言います。「伝統は一度壊れたら二度と戻せない。金剛組をつぶすのは、大阪の同業者として恥や」として高松建設はすぐに再建資金を手当てし、金剛組を傘下に入れた。現在は孫会社へ移行しています。
本来得意とする神社仏閣の受注が無ければ宮大工の技術継承は絶えてしまいます。10月31日に発生した首里城の火災。正殿が全焼など、7つの建造物が焼失してしまいました。首里城は1992年に復元されましたが、丁寧に昔の古文書を調べ、戦前の首里城を忠実に再現されています。コンクリートで造るのではなく、昔の素材でつくり直すというあり方自体は、もっと見直しても良いのではないかと思います。日本で昔から残っているものは法隆寺くらいしか無く、大半は建て直しています。東大寺大仏殿も何度も消失していて、金閣寺も昭和になってから燃えて、あらゆるものをつくり直しているわけです。もちろん古い建物は大事ですが、一方で古い建物を造り直して、木造建築の技術を残すこと自体が重要だと思います。これから昔の建物を木造のままに造り直すと言うことを続けて行けば、もう1度宮大工が活躍する場所が出て来ます。実は建物自体よりも、造り直す技術のほうが無形文化財としての価値が大きいのではないでしょうか。伊勢神宮も式年遷宮で20年ごとに建て直しています。そのために常に新品だから、文化財ではないのですが、20年サイクルというのが親子間の技術伝承には最も良いのではないでしょうか
。技術は経験して、感(かん)を自ら修得するもので、言葉や文字では受け継がれません。経験を繰り返す事で、腕前が上がるのでは無いでしょうか。
画像、参考記事Wikipedia/https://www-sankei-com.産経WEST/http://ニッポン放送飯田浩司のOK! Cozy up!